Englsih


「子育ての今昔」
 「少子化」という現象が日本では大きな社会問題となっています。これには様々な要因が考えられると思いますが少なくとも今から100年程前の日本では一人の母親が7人も8人も子供を産む事はごく普通のことであり、一人産んだ後にはすぐには次が生まれない様にというおまじないをしていたという話もある程、今とは状況がかなり異なっていた様です。

 現代の都市生活では、プライバシー保護の考え方もあり、マンションの隣人の顔も知らないという事も珍しくありません。そんな状況の中では近所の女性が妊娠何ヶ月だとか、同じ町内に退院したばかりの新生児が居るなどという情報は私立探偵でも雇わない限り知り得ない情報になってしまった様です。

 一方、かつての日本では、妊娠・出産の事実を周囲に知らせる為に、様々な習俗がありました。先ず胎児の存在は妊娠5ヶ月ごろに腹帯(注1)をつけることにより明らかにされましたが、その場合はあくまでも親戚や仲人などの範囲に留まっていた様です。長野県のある地方では妊娠7ヶ月目に入ると嫁方の母親は赤飯をふかして、婿方へもって行き、その親戚や隣近所に配って、娘が妊娠していることを知らせたそうです。これをもらった相手方はこの知らせを以って出産祝いの着物の用意を始めたそうです。似たような習俗は全国各地で見られます。その様にして生まれた子供は胎児の頃から、周囲の人々に認識されることとなり、当然生まれた後も大切な生命として地域社会により見守られながら「うちの子、村の子、みんなの子」成長して行く事となります。

 意外に思われるかも知れませんが、当時私生児として生まれた子供は特に「太陽の子」「天道児」などと呼ばれ、神秘的な存在として崇められていたという話もあります。それだけ社会は子供の誕生を温かく迎え入れていた証拠とも言えましょう。

 生まれた後も実に様々な儀式が伝承されてきました。3日目、7日目、31日目、100日目、1年目と、お宮参りに行ったり赤飯を炊いたり、親しい人を呼んでお祝いをしたりと、お祝いの行事も目白押しです。

 現代人にとっては、それらの儀式は非合理的で時間の無駄だと見えるかも知れません。しかしながら、この様な儀式が沢山行われる事により少なからず母親は手のかかる育児から気分転換出来た面もあるでしょうし、時には弱音を吐いたり先輩方の体験談を聞いたりする良い機会になっていたのではないでしょうか?近頃「孤独な育児生活」が一因と見られる乳児虐待などのニュースも珍しくありませんが、虐待を犯してしまった母親も100年前の日本に生まれていたとしたら、案外立派な10人の子供の母親になっていたかも知れません。

 話は変わりますが、戦後日本では従来の布オムツに代わり、使い捨ての紙おむつが急速に普及しました。かつて、家族の古着の浴衣を利用するなどして作られた布オムツ。当然育児中は頻繁に洗濯をして屋外に干す事になります。かつてはその「干されたオムツ」がその家に赤ん坊が居るという事を周囲に知らせる役目もしていた様です。失って初めて見えてくる良さがそこにあるように思います。

 現代の育児の在り方を全て否定するのではなく、今の良さ、昔の良さが柔軟に取り入れられ、欧米の真似だけではなく日本人の新しい育児について模索して行く事が少子化を食い止める一つの方法であるかも知れません。(終)
 



HOME

(C) Copyright 2003- JPN-MIYABI All Rights Reserved.