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「樋口一葉 (1872〜1896)」−前編−
昨年日本の紙幣に初めて女性肖像が起用されました。新5千円札の肖像になったのは明治の女流作家樋口一葉。 貧困生活に苦しみ、肺結核のため24歳という若さで亡くなる まで四千もの短歌と二十以上の小説を書いたとされるその 樋口一葉について紹介したいと思います。 一葉は明治5年(1872年)3月25日(陰暦)、学問好きの父大吉(則義)と母あやめ(たき)との間に樋口家の次女として生まれました。学問好きであった父に似て、一葉は幼い頃から大変な読書家でした。樋口家の倉庫には草双紙(くさぞうし・江戸時代の絵入りの読み物)がたくさんあり、一葉は特に英雄の伝記や義理人情に溢れた人達のことを書いたものを好み、一日中倉庫で読みふけっていたため近視になってしまったほどでした。のちに一葉はこの頃(9歳)のことを回想して、「私の一生が普通のありふれた生活で終ってしまうのは残念で、何とかして普通よりは一歩抜け出した、優れたものにしたいといつも願っていました。」と語っています。 明治16年(1883年)、学業成績優秀であった一葉は11歳で青海学校小学高等科を首席で卒業します。しかしその後の進学については、「女は学問よりも針仕事や家事見習いをした方がよい」と進学を否定する母と、もう少し学問をさせようと母に反対する父との間で一葉は父に彼女自身の意向を尋ねられますが、気の弱さからはっきり口にしていうことが出来ず、結局は母に従い進学をしませんでした。一葉はこの時の事を「死ぬほど悲しかったのですが、学校を辞めてしまいました。」と日記に記しています。とはいえ、退学をしても夜になると机に向かって勉強することを止めませんでした。そんな一葉の姿を見た父は一葉が14歳の時、当時隆盛だった萩の舎(はぎのや)という歌塾に入門させます。歌塾に通う生徒は皇族や華族などの生活に不自由しない令嬢達が殆どだったので惨めな思いもした一葉でしたが、歌では彼女達には負けないと、千人もの門徒の中で頭角を現わしていきます。後にその才能と人柄が認められ、助手を務めるようになります。 つづく |
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