| 後編 | English |
| 「人見絹枝 (1907-1931)」−前編− 人見絹枝は明治4年(1907年)1月1日、岡山県の一農家の次女として生まれました。勉強より遊び回るほうが好きだったという絹枝ですが、猛勉強の末、合格率4人に1人という難関の岡山高等女学校に入学します。在学中の4年間、絹枝はテニスに熱中しました。県下のテニス大会で先輩が奮闘するも準決勝で敗れた際、「その時の悲しかったことはひととおりではなかった。早く私も選手になって先輩の雪辱を晴らしたいと心の中で叫んだ」と後の自叙伝に記しています。そして、言葉どおり、翌年の大会で出場した絹枝はその思いを果します。 女学校4年生、16歳の頃、岡山高等女学校では全校をあげて「いかなる競技においても覇者になるべし」という目標が掲げられ、絹枝も県下の中等学校競技会へ出場することに なります。そこで絹枝が初めて競技会に出場して打ちたてたレコードは、走り幅跳び4m67という日本女子最高記録でした。以後、彼女が陸上競技に身を投じるきっかけとなったのです。 女学校卒業後、絹枝は現日本女子体育大学へと進学し、17歳の頃、岡山県陸上競技会で三段跳びに出場し、10m33の世界新記録を出しました。 大正15年(1926年)、文才にも恵まれていた絹枝は大阪毎日新聞社に記者として入社します。入社4ヵ月後、絹枝が19歳の時、スウェーデンのエテボリ−で開催された第2回万国女子オリンピック大会に日本人選手として1人で参加します。そこでも得意の走り幅跳びで 5m50の世界新記録を出し、立ち幅跳び2m49で優勝したほか、円盤投げでは2位、 100ヤード走3位、60m走5位等々に入賞し、1人で15点を稼いだ彼女は個人優勝を果します。たった1人で団体成績5位に引き上げた彼女に世界の人々は驚いたのでした。 つづく |
HOME
(C) Copyright 2003- JPN-MIYABI All Rights Reserved.