後編 English
「忠犬ハチ公(1923〜1935)」 - 前編 -

 大正12年(1923年)秋田県大館市の斎藤一義さん宅で1頭の秋田犬が誕生しました。
ちょうどその頃、東京では帝国大学(現東京大学)の農学部教授であった上野英三郎博士が秋田犬を探していました。博士はそれまでに何頭かの秋田犬を飼ったことがありましたが、残念ながらどの犬も幼いうちに亡くしていました。それでもなお純粋な日本犬を飼いたいと願っていた博士。その想いを知った博士の教え子が知人を通じて秋田で生まれた秋田犬の話を聞き、譲ってはもらえないかと依頼します。斎藤氏は快く承諾し、生後約2ヶ月の秋田犬は米俵に入れられて東京にやってきます。

 博士宅では既にジョンとSという2頭の犬が飼われていました。博士はその可愛い秋田犬をハチと名づけました。博士はハチを大変可愛がり、食事も共にしていたそうです。また、ジョンはまだ子犬だったハチの面倒をよく見ていました。そして3頭で上野博士が勤務する東京大学農学部の校門と博士宅の最寄駅であった渋谷駅への送り迎えが始まりました。
朝、博士を送った場所へ夕方迎えに行く、博士のその日の仕事によって送り迎えの場所が異なりましたが3頭はその場所をきちんと覚えていました。

 大正14年(1925年)5月のある日、この日はハチだけが博士をお見送りに行きました。そして、この日が博士とハチのお別れの日となってしまいます。その日、博士は大学での教授会を終えた後、脳溢血で倒れ、帰らぬ人となってしまいました。博士とハチが出会って僅か1年と数ヶ月のことでした。博士の死を知らないハチは夕方、農学部校門に博士をお迎えに行きます。ハチは暗くなるまで待っていましたが博士は現れません。その日からハチは博士の遺品が置いてあった物置へ入ったきり、3日間何も食べなかったそうです。告別式が終っても博士の死がわからないハチ・ジョン・Sは揃って渋谷駅に向いました。

 その後、ハチは日本橋で呉服屋を営む上野未亡人の親戚の家から浅草の親戚の家へと預けられましたが、夜になると浅草から8キロも離れた渋谷へと走ったのでした。それは1年ほど続いたと言われています。そんなハチを見て上野家の人々は顔なじみであり、もとの上野邸からさほど離れていない代々木に住む植木職人・小林菊三郎さんにハチを託すことにしました。1キロも離れていなかったもとの上野家と小林家、ハチは夕方の餌を食べ終わると上野邸に向い、渋谷駅改札口の前でじっと座っていたのでした。   

 つづく




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