前編 English
「忠犬ハチ公(1923〜1935)」 - 後編 -

 小林菊三郎さん宅に移ったハチは夏の暑い日も、冬の寒い日も毎日欠かさず渋谷駅改札に向い、上野博士を待つかのように改札口前で座り続けました。時には顔にいたずら書きをされたり野犬捕獲人につかまったり、駅の中に入ったため駅員に叱られたりすることもありました。そんなハチの姿を見かけていた日本犬保存会の斎藤さんが新聞社にハチの話を投稿しました。するとハチは一躍有名になり、駅員や売店の人、一般の人から可愛がられ、いつのまにか「ハチ公」と呼ばれて親しまれるようになりました。

 昭和9年(1934年)、安藤照氏によってハチ公の銅像が建設され、渋谷駅の改札口前に設置されました。この銅像がある改札口は「ハチ公口」と命名され、渋谷で待ち合わせといえば「ハチ公前で」と今日も渋谷のシンボルになっています。
しかし、昭和10年(1935年)3月、ハチ公は普段は行かない駅の反対側の路地でひっそりと亡くなっていました。原因はフィラリアでした。ハチ公の亡骸は剥製として上野科学博物館へ寄贈され、骨肉は上野博士が眠る青山墓地へ埋葬されました。

 ハチ公が銅像となって10年、第二次世界大戦が激化してくると金属資源の不足により、ハチ公の銅像も供出されてしまいます。銅像は日本全国の子供達からの寄付だけでなく、交戦国であったアメリカの子供達からの募金も含まれていました。戦争が終わり、現在のハチ公銅像は昭和23年(1948年)安藤照氏のご子息によって再建されました。

 ハチ公が毎日決まった時間に渋谷駅に現れた理由は、上野博士を迎えに行っていたのではなく、駅前の屋台からもらえる焼き鳥が目当てだったという説もあります。実際、ハチ公の死後、解剖すると胃の中には焼き鳥の串が数本あったそうです。しかし、1年もの間、浅草から渋谷に向かって走りつづけたその期間は、少なくともハチ公は上野博士に会いたい一心であったと私は思います。(終)



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