「日本の食文化」
我々日本人は食事を始める前、「頂きます」と礼をし、食べ終えた時は「ご馳走様でした」と感謝 の意を示す。日本の食文化の原点である精進料理において、食事はもてなす側のこころとそれを頂く側のこころの触れ合いを表す。禅宗では、料理も仏道修行のひとつと考えられており、手間を惜しまず心をこめて料理をつくることにより仏道の功徳を積むことができると考えられていた。それゆえ食材を捨てることは殺生を行うことに等しいとみなされており、どんな食材でも全てを使い切ることによって、往生させることができると考えられている。従って、おのおのの素材がもつそのものの豊かな味を尊重し、食べる側が十分に楽しめるような味付けを行うことが精進料理の極意なのである。 一方で食べる側の心得としては、この食事を頂くことによって自分は生かされているのだということを自覚することから始め、食材や、料理をつくるために奔走してくれた人に対する感謝の気持ちを持ち、さらに、自分はこの食事をたべるに値するだけの行いをしているのだろうかと反省する気持ちをもつことを求められる。冒頭の「頂きます」「ご馳走様でした」という言葉には、このような感謝の気持ちが込められているのである。 筆者も幼い頃、両親から食事の際に、「残さず食べなさい」と躾られてきた。筆者は敬虔な仏教徒では無いし、食事に対して上述の「精進料理」のようなストイックな感性も持ち合わせていないが、それでも食べ物を残すともったいないと感じるのは長年植え付けられてきた生活習慣によるものに違いない。かつて米国で生活していた時に、レストランで出される大量の食事や、排出される大量のゴミに違和感を感じたのは、自分の中に植え付けられてきた日本的な価値観のよるものであろう。 ところで、最近の日本のテレビなどを見ていると、日本の食文化を冒涜するような光景を良く目にする。例えば恒例となっているプロ野球優勝祝賀会におけるビールかけや、氾濫する大食い、早食いコンテストの類、また娯楽番組の罰ゲームと称して、ゲテモノを無理やり食べさせることなどはその最たるものであるが、一方で高価な食材や、希少な食材をつかった料理を指して高級料理と賞賛する傾向があるのも視聴率至上主義を掲げるテレビ業界の弊害のひとつではないだろうか。 食文化は、その国民の国民性を決定づける主要な要素のひとつである。時代の流れや生活習慣の変化等により日本人のメンタリティー変化してゆくことは避けられないが、このようにして日本の食文化が失われてゆくことにより、良い意味での日本人のアイデンティティーが失われてしまうのは寂しい気がする。(終) |
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