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「黒澤映画の色」

 世界で最も有名な日本人映画監督と言われる黒澤明は若い頃、画家を目指していたことは良く知られている。そのため、黒澤は「色」に大変に敏感であり、夢は必ず鮮明な色彩で見るとインタヴュー等で答えている。その黒澤がカラーで映画を撮ったのは意外と遅く、1970年の「どですかでん」が最初である。日本で始めての本格的なカラー映画が1951年の木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」であることを考えると、黒澤は実に20年近くも白黒映画に拘っていたことになる。 黒澤は白黒で映画を撮り続けた理由として、「当時の技術では自分の考えた色が出ない」と話しており、本来は画家志望であったその素養が、安易にカラーで映画を撮ることを許さなかったのであろう。カラーで撮りたいが、撮れないそのジレンマが、結果的に彼の代表作である「七人の侍」(1954年)「用心棒」(1961年)が白黒であるにも拘らず、見ているうちに白黒であることを忘れさせる演出力に繋がり、それどころか「色」がそのうちに感じられてくるのが黒澤の凄さである。「椿三十郎」(1962年)は白黒で撮影された椿は紛れも無く赤く見え、そして白く見えるのである。

 世界でそして特にアメリカで人気のある黒澤は1960年代後半にハリウッドで映画を作る企画が幾つか持ち上がった。それらのひとつが「暴走機関車」であり、戦争映画大作「トラ!トラ!トラ!」である。これらは黒澤自身が執筆した脚本が出来上がりながらも結果的には没となり、両作とも後年別の監督で制作されることとなるが、没となった原因は、やはり「色」の問題があったのではと筆者は考える。 <つづく>



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