黒澤映画の色(1) Engligh


「黒澤映画の色」(2)

 「トラ!トラ!トラ!」」は20世紀フォックスの大プロドューサーであったザナックが黒澤に企画を持ちかけ、真珠湾奇襲作戦をアメリカ側と日本側のパートのそれぞれをアメリカ人監督、そして黒澤が監督するという超大作で、黒澤が膨大な脚本も執筆した。しかし、この夢の企画は実物大の軍艦模型のセットが作られ黒澤が撮影を開始したにも拘らず、その約1ヵ月後ほどに黒澤は突然に降板する。当時の正式発表では「黒澤の病気のため」ということになっていたが、この突然の降板というミステリアスな出来事の原因は現在に至るまで謎に包まれている。一般的にはアメリカの製作方法に黒澤が適応出来なかったとか、黒澤が初めて組んだ東映撮影所のスタッフとの確執等がその原因として巷に伝えられている。実際にもかなり奇異な行動が黒澤監督にもあったらしい。しかし、筆者は黒澤が実際に撮影したこの「トラ!トラ!トラ!」の数カットが彼にとって事実上初めてのカラー撮影であったことに注目したい(残念ながら、この撮影済みの数カット行方不明らしい)。

 黒澤は「トラ!トラ!トラ!」の降板後に正式な初のカラー映画である「どですかでん」(1970年)を発表するが、この映画の撮影で、気に入った色を出すために、ペンキを地面に塗るなどの独自の工夫をしたと伝えられが、残念ながらまだまだ実験段階を出ない。更にその後の作品の「デルスウザーラ」(1975年)や「影武者」(1980年)でカラー撮影は洗練されて行き、レフ版に直接色を塗って撮影するなどの独特な手法が確立したのは「乱」(1985年)ではないかと筆者は考える。晩年の「夢」(1990年)、「八月のラプソディー」(1991年)、「まあだだよ」(1993年)では色が鮮明に際立っていながらもどぎつくなく正しく黒澤カラーの頂点であり、若い頃の作品群とは違った魅力に溢れている。

 このように黒澤は20年も掛けてじっくりと彼なりの色を醸成していったのであり、このことを考えると、初のアメリカ資本との合作で、超大作、更には初めてのスタジオとスタッフと何もかも初めてづくしの「トラ!トラ!トラ!」で、「念願のカラー」を彼の思い通りの色で撮影出来たとは到底考えられない。まぼろしの「トラ!トラ!トラ!」の途中降板の原因の謎のひとつに「初のカラー撮影」が絶対にあったに違いないと筆者は確信する。−「トラ!トラ!トラ!」は別な監督に代わり完成し、現在DVDで鑑賞可能です。黒澤の強い意向で脚本のクレジットから黒澤の名前は外されておりますが、大きな構成はほとんど変わりなく、彼の壮大な意図は十分に察せられますが、やはり黒澤が撮れば、もっとダイナミズムに溢れた作品になったのではないかと惜しまれます。 (終)



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