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「安全と水はただか?」

 「水と安全はただ」イザヤベンダサン氏の有名な著書「日本人とユダヤ人」に述べられている日本人の価値観を表す象徴的な言葉である。長年日本人はこの概念を当然のことのように受け止めてきたがその信仰が今ゆらぎ始めている。昨今の猟奇的な殺人事件や、重大な事件が些細な理由により引き起こされている現実を見ると、従来我々日本人が抱いている日本人的な行動様式の理解を遥かに超えていることに驚かされる。それとともに日本が誇っていた犯罪検挙率が急激に低下していることを考えあわせると、主要な理由の一つはは近年の不法滞在外国人の増加と関係があるのではないかと思わざるを得ない。

 1992年のハロウィンの日、アメリカに留学していた16歳の少年がハロウィンのパーティーに出かける途中、強盗と間違えられて射殺されるという事件が起きた。ルイジアナ州バトンルージュ郊外の閑静な住宅地で、服部剛丈君がロドニーピアーズ容疑者の撃ったピストルによって射殺されたのである。日本の報道では「銃社会の恐怖」とか「病んだアメリカ社会」等の紋切り型の論調が目立ったが、この問題の本質はそれほど単純ではない。アメリカに長く暮らした人間であれば誰もが当然のことと知っていることであるが、個人の敷地に不法侵入した場合は銃で撃たれてもやむを得ないという相互の了解事項がある。その上で容疑者が"Freeze"という警告を発したにも関わらず、服部君がそれに従わなかった(Freezeの意味が分からなかった)ことが文字通り今回の惨事引き金となった。米国においては、日本人には理解しがたいが個人が銃で武装することが憲法で認められている。その背景にあるのは長年移民を受け入れてきたことによる多民族国家を形成する中で生まれてきた人種的対立や貧富の差による軋轢から身を守るのは個人の責任であるという意識の萌芽に他ならない。即ち、日本人にとっての非常識がかの国では常識であり、むしろ先進国諸国の中では類をみない単一民族国家である日本こそが非常に特殊であると考えるべきなのである。

 今、イラク復興問題で日本の国会がゆれている。イラクに自衛隊を派遣するか否かの議論にはこの米国が引き起こした戦争そのものの意義を問うものや、憲法9条との整合性に関するもの、または日本の安全保障の観点から派遣は必要であるという意見等様々である。派遣の是非はともかく、筆者が容認できないのは、危険、命の保証が無いから派遣はやめるべきであるという短絡的な意見である。第一世界大戦以降、起こりうる紛争の危機は国際協調の下で未然に防ごうという集団安全保障体制が確立し、各国がその国力に応じ世界平和へ貢献しようとしているなか、中東の紛争を他山の石としてとらえるような一国平和主義は通用しなくなっていることを日本人は認識すべきである。安全と水はただではないのである。(終)


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